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成道

お釈迦さまの成道ということについて、正覚を得ることがすなわち成道であるというのは、はたして正しいのでしょうか。

成道をキーワードにしてネットで検索すると、悟りを得るということ、悟りを得て仏となることという説明があるのですが、私には納得できないのです。

正覚を得て、法を説かず、そのまま食を断って涅槃に入ると、それも成道なのでしょうか。絵を描かない画家というのと似ているような気がします。

正覚を得て、得たところの正覚の内容を言葉で表して法を説く。それでもまだ成道ではないように思えます。

正覚を得て、正覚の内容を説き、その説法によって、説法を聞いた人が同じ正覚を得てはじめて成道と言えるのではないかと思うのです。

お釈迦さまの場合、苦行を共にした五人の比丘のうちの一人が正覚を得たときにはじめてご自身を「如来」とおっしゃったとのことです。

如来と仏という言葉の意味の違いは分かっているつもりなのですが、さて、仏となることが成道なのか、如来となることが成道なのか。

確かに言えることは、お釈迦さまは法を説かれたということ、法を説かれたからこそ仏教が仏教として成立したということです。法を説かれなかったならば、仏はいても教はないとういうことになります。

ちなみに、お釈迦さまの説法を聞いた人も同じ正覚に達したということが意味するのは教が証をうんだということで、これによって明らかになるのは、仏教の原型としての「行」とはすなわち「聞」であるということではないでしょうか。