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称名念仏

亀毛のごとし、虚空のごとしと言われる凡夫の所見の実の生死を生きていて、けれど、生きているのでなく生かされてあるんだという事実に気づかされることもあります。

積功累徳といわれるような功徳だけが功徳ならば、積累すべきが何なのかさえも分からず、かといってこれこそが功徳となることだと言われてもその通りには行ずることもできません。

私が功徳を具するのでなく、私は如来の功徳をいただくばかりであるわけです。そうでありながら申し訳の立たないことばかりを為しているこの身は偽でありながら、不思議にも、偽でなければ分からないような真実というものがあるようです。

生きているのでなく生かされてあるんだという事実を目の前に突きつけられると、慚愧にたえない思いをするというようなことが多いのでしょうが、そんなことでは済まないことが時としてあります。

身体が震えるとでも言えばよいのでしょうか、何か想像を絶する大きさの梵鐘があって、それがなむあみだぶつとゴーンとなって、その音にこの身の頭の先から手足の指先まで全部が共鳴する。そんなふうなことがあります。

お念仏といえばそれは称名のお念仏なのでしょうが、喉から出る声がなむあみだぶつというのでない、身体がなむあみだぶつと震える。これを何と名付ければよいのでしょうか。

何とも名付ける必要はないのでしょうね、やはりそれも称名念仏なのでしょう。文章などに書いて説明するのでない称名念仏も、やはり称名念仏なのでしょう。