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不死

謹んで往相の回向を案ずるに、大信有り。
大信心はすなわちこれ、長生不死の神方、欣浄厭穢の妙術、選択回向の直心、利他深広の信楽、金剛不壊の真心、易往無人の浄信、心光摂護の一心、希有最勝の大信、世間難信の捷径、証大涅槃の真因、極速円融の白道、真如一実の信海なり。(教行信証 信巻)

「大信心はすなわちこれ、長生不死の神方」とあり、この長生とはいわゆる長生きなどのことではなく、次に続く「不死」そのものであろうと思います。

お釈迦さまは初転法輪において五比丘に対して「不死の法」を説かれたとお聞きしています。これが中国で翻訳される時に、不死などあり得ないということから「甘露の法」とされたともお聞きしています。

ご開山にあっては、如来のご信心は長生不死の神方であるとおっしゃっているわけですが、これは私見ながら、いつか書きました大経「示選択相」にある「令我於世 速成正覚 抜諸生死 勤苦之本」の「生死」が根本のところにあるのでないかと思います。

「生死」は迷いと解釈されることが多いのですが、少なくともここの「生死」はするりと迷いととらえるべきでなく、ここの「生死」は無生の生を信知しないが故の生死、我執による生死ととらえるべきであると考えます。

行の巻に参考になるかと思われるところがありますので抜き書きします。
(ここから)
問うて曰わく、大乗経論の中に処処に「衆生、畢竟無生にして虚空のごとし」と説きたまえり。いかんぞ天親菩薩、願生と言うや。答えて曰わく、「衆生無生にして虚空のごとし」と説くに、二種あり。一つには、凡夫の実の衆生と謂うところのごとく、凡夫の所見の実の生死のごとし。この所見の事、畢竟じて有らゆることなけん、亀毛のごとし、虚空のごとしと。二つには、いわく、諸法は因縁生のゆえに、すなわちこれ不生にして有らゆることなきこと、虚空のごとしと。天親菩薩、願生するところはこれ因縁の義なり。因縁の義なるがゆえに、仮に生と名づく。凡夫の、実の衆生・実の生死ありと謂うがごときにはあらざるなり。
(ここまで)

ご開山が何をもって「長生不死の神方」とおっしゃるのかは分かりかねるのですが、実に興味深いところです。