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ご正忌

ご正忌ですね。

親鸞聖人という方はご自身の意見・考えをあまり述べられません。ですから余計に「竊かに以みれば」とあるところが気になります。

この「竊以」についてはこちらをご覧いただいた方がよいかと思いますが、ここには「総序」の一部を抜き書きします。

(ここから)
竊かに以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。しかればすなわち、浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。これすなわち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済し、世雄の悲、正しく逆謗闡提を恵まんと欲す。かるがゆえに知りぬ。円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。しかれば、凡小修し易き真教、愚鈍往き易き捷径なり。大聖一代の教、この徳海にしくなし。
(ここまで)

抜き書きの最後のところで、「大聖一代の教、この徳海にしくなし。」とあって、これは随分と思い切ったことをおっしゃっているわけです。

曾我先生はここのところを冷静にというか、全体の一部としての解釈をしておられるようで、私などが愚直に感想を言うようなことではないのでしょう。

それをあえて言えば、唯仏与仏の智見としてお釈迦さまが得られた西方阿弥陀如来の教えの伝統というものを親鸞聖人は「円融至徳の嘉号」に感じ取られたのであり、いわゆる大乗仏教に始まるのでないお浄土の教えというものを見いだされたのである、となるでしょうか。