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令我於世 速成正覚 抜諸生死 勤苦之本

これは大経下巻の最初の方、ちょうど「嘆佛偈」の後にある「示選択相」と言われるところの一部(?)で、読み下せば「我世において速やかに正覚を成らしめて、もろもろの生死・勤苦の本を抜かしめん」となります。

ここのところの「生死・勤苦の本」とは何なのでしょう。

私なりにいただいていたところはあるのですが、調べごとをしていて、「生死・勤苦の本」ということを直接説明なさっているのではないけれども、それを含む説明全体に頷けないというか、いただけないことが書かれてあるのを発見して、また考えてしまっています。

たとえば学校のように、先生(師)がいて下さってお尋ねすればすぐに答えて下さるならどんなにありがたいことだろうと思います。

しかし、仏教というのは仏教を学ぶのではありませんから、学校の先生のような先生(師)はいらっしゃらないわけです。

言ってみれば、たとえば「生死・勤苦の本」ということそれ自体が先生(師)であるわけで、こういう先生(師)というのは繰り返し繰り返し問いかけて下さるところが先生(師)であるのしょうね。

この先生(師)が答えて下さるということがあるとすれば、それは繰り返しの問いかけこそが答えであるとも言えるのでしょうし、あらゆることについての答えは十劫の昔に出ているよと言って下さるのが答えなんでしょうね。