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「教義」

たとえば、回向ということについてお話でもするとして、回向に二種があるとされていますというところから話せば手間はいらない、というか省けます。

ところが、曾我先生のおっしゃるように回因向果の回向と回思向道の回向という二種類のところから話を始めなければならない場合が多く、そういうときには往相・還相ということをお話しするまでにかなりの時間がかかります。

真宗のご門徒だから我々が佛に願いをかけるのでないというようなことは言うまでもないなどと思っていたら大きな間違いで、話をする方と話を聞く方とで、した話と聞いた話が別物になっていたりします。

総じて仏教であるわけですが、論じれば袂を分かたなければならないようなことがたくさんあります。その多くは「教義」と言われるものに違いないと思うのですが、何によって「教義」に違いができる(た)のでしょう。

こういうことは熟考するに値することだと思うのです。歴史の勉強でもするように、お釈迦さまから現代までの時代を辿ってどこでどういう「教義」の違いができたのかということを確認するのも一つの方法だと思います。