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お浚い

今年の報恩講も終わりました。町の老人会の運動会や商店街の催し物もあったようですが、たくさんお参りして下さいました。

「お浚い」は、本当なら翌日にするのでしょうが、うちの場合は満日中の後に済ませます。そうなさっているお寺も多いと思います。

信心の溝を浚うなどといわれても、ぴんとこないというのが本当のところです。言葉の字面だけで考えると、何かしら自力くさいような感じがしますが、やはり「聞く」ということなのでしょう。

報恩講という講はとりあえず年に一度ですが、聞くということは毎日であって、言ってみれば毎日が報恩講であって毎日がお浚いであるわけです。

特別なものであるように思っていることが日常であり、日常茶飯事が実は特別なことであったりします。

疲れ切りましたが、書いていることが自分でもまとまりも何もないということが分かります。