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蚕繭の自縛

仏本この荘厳清浄功徳を起したまへる所以は、三界を見そなはすにこれ虚偽の相、これ輪転の相、これ無窮の相にして、尺蠖 屈まり伸ぶる虫なり の循環するがごとく、蚕繭 蚕衣なり の自縛するがごとし。あはれなるかな衆生、この三界に締 結びて解けず られて、顛倒・不浄なり。衆生を不虚偽の処、不輪転の処、不無窮の処に置きて、畢竟安楽の大清浄処を得しめんと欲しめす。
(『往生論註』巻上)

尺蠖の循環、蚕繭の自縛。衆生というものの有様を見て、このように見極められた言葉をもって「衆生」に自身の有様を解き明かすということもまた循環であり、輪転である。そのように思います。

聞法ということが大切であるのは言うまでもないのですが、聞法ということ自体、それに限るならば、煎じ詰めれば循環であり、輪転に過ぎません。

聞法が聞信となって、お念仏をいただき、お念仏もうすという構図を仮定すれば、聞信とならない聞法は言ってみれば「趣味」である。そう言えるのではないかと思います。

聞法が聞信とならないのは、何故なんでしょう。

うちの庫裏の一部を改築したのは20年ほど前ですが、新築でなくて改築の場合は実際に板をめくってみてはじめて分かることもありますので、設計図は一応あったのですが、ないに等しい状態でした。

改築が終わった後にその設計図ができあがるというのは、実に興味深いことでした。新築などということはできないでしょうから、後々また改築するときのためにわざわざ現状がどうなっているかを図面にしてもらう必要がありました。

煩悩成就の凡夫人が聞法するというのは、新築にあたるのでしょうか、改築なんでしょうか。