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捨てる

稲の刈り取られた後の田んぼを見ていると、いろいろなことを思います。見た目で言えば、何かしら安堵しているような印象です。窓から見渡せる範囲でまだ刈り取りが済んでいないのは2枚だけです。

朝から雨の中草むしりをしていたのですが、本当の夏場と違いますから少しこたえたようです。朝起きたときよりも身体が重く感じられるのは疲れのせいだけでなく、身体が冷えたということもあるように思います。

ミカン箱くらいの大きさの段ボール箱2つがむしり取った草でいっぱいになりました。さて、今までは草を捨てる場所があったのですが、門徒さんからもうそこには捨てないでくれといわれたのを思い出しました。

それではどこかに捨てる場所があるのかといえば、総出の草刈りの後などには持ち主の許可をいただいて、すぐ隣の荒れ地になった田んぼに捨てていますが、いつも捨ててよいというわけではありませんから、ありません。

・・・都会などでは生ゴミとして出していらっしゃるのでしょうか。むしった草は刈った草と違いますから乾燥するのを待って燃やすということができません。仕方なく庫裏の裏の目立たないところに捨てるには捨てたのですが、捨てたことにはなっていませんね。

重く感じる身体を運んで草むしりをした場所を眺めに行きますと、それはそれできれいになっていて気持ちはいいのですが、捨てたことになっていない草のことを思うと、こちらのものをあちらへ移動しただけのようにも思えてきます。

稲刈りの済んだ後の田んぼを見ていると、もちろん純粋に自然とは言えないのでしょうが、自然の世界は循環構造なんだなというようなことを思います。

消費は美徳だなどと言って「使い捨て」ばかりしていることがどうのこうのと批判的におっしゃるのを見聞きしますが、どうもフェイズの切り取りがあるように思えます。

全体的にというか、総合的にというか、切り取りをしなければそれもまた循環ではないかと思います。悪循環という言葉があるわけで、その悪循環の悪というのは人間にとって不都合ということなんでしょうか。

環境に悪い影響を及ぼす循環(悪循環)といっても、その環境とは生物、つきつめれば人間が生きるための環境をいうのでしょうかと、そんなことを考えてしまいます。