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お講さん

まだまだ暑いけれども、本堂にいても聞こえるように稲刈りが盛りで、今時の稲刈りは機械がしてくれるから随分と楽になりました。そんなふうな感じでお講さんのお話を始めました。

秋になれば収穫があるから春に田植えをするのであって、秋になっても稲穂の先に少しも実入りがなければ春に田植えなどする人はいない。それが良いとか悪いとかではなく、私たちのすることなす事は一事が万事そんなふうなことである。

買えばあたるかも知れないから宝くじは買う、子供を「よい学校」にいかせておけば将来「よい職業」について「よい収入」が得られるだろうから塾でも何でも行かせる。絶対にあたるわけでもないし、絶対に得られるとも限らないけれども可能性はあるから、買うし、行かせる。

なむあみだぶつと称えたからといって何か「よいこと」があるとは思えない、なむあみだぶつなんて称えても何もよいなんてないから称えない。称えたって仕方ないじゃないかといって、称えない。

何が自分にとって本当に「よいこと」なのかを、一度じっくり考えてみる必要がある。自分が普段思っている「よいこと」は本当に「よいこと」なのかどうか、一度は疑ってみる必要があるのではないか。

地域の敬老の行事もあっていつもよりお参りが少ないなか、珍しく比較的若い女の方が二人お参りくださいました。

何が本当によいことなのか、何が果として得るべきもっとも大切なことなのかというようなことは、なかなか人間の浅はかな知恵ではわかるものではありません。だからまず如来の智慧をいただかなければならないともいえるでしょう。

田植えも稲刈りもみんな手作業だった頃に過酷な労働の中でさんざん自然や自身との対話を重ねてこられたばあちゃんたちもお参りくださっていました。