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僧伽

真宗(大谷派)のなかで、僧伽という言葉がどのような場所でどのように説明されているのか、詳しくは知りません。

教団という意味をもつようになったのは、教団というべきものが成立してからのことなのでしょうが、それがいつ頃なのかも知りません。

Wikipediaにある僧伽の説明を読んでみるのですが、はたしてそれが正しいのかどうかも私には判断できません。

詳しいことなど何も知らない私ですが、真宗のなかで教団という意味で僧伽という言葉を使っておられるのを見聞きしますと、違和感を覚えます。

少なくとも真宗のなかでは教団を意味して僧伽という言葉を使うべきでないのではないかと思っています。

私なりにその理由を論うと、それに対する反論、親鸞聖人のお言葉をもとにした反論が自分で成り立たせることができます。

ですから教団を意味して僧伽という言葉を使うべきでないと思うのは、論理でもってそう思うのではなく、感覚でのことになるかと思います。

ご開山にとって三宝の一つである僧(僧伽)はたしかにありました。それは教団などを意味するのでないことは言うまでもなく、関わり合いのあり方とでも言えばよいものであったと思います。

関わり合いのあり方を関係というとして、関係が教団という団体を意味するようになると、たとえばご開山がおっしゃる同行や同朋とはいったいどのようなものになるのでしょうか。