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「本来」

毎日新聞の7月17日の7面に「葬式はどうあるべきか」と題して「ニュース争論」の記事があります。そういうふうな記事があったと他人様から聞いて、古新聞をあさってもらって、虫眼鏡で読んだのです。

島田裕巳さんという「葬式は、要らない」という本を書かれた方と、小川英爾さんという新潟の日蓮宗の妙光寺というお寺のご住職が立会人をまじえて話をしておられます。ちなみに、小川英爾さんというのはこちらでも取りあげたことがありました。

私の感じる範囲では一々抜き書きする必要を感じないような発言が続いていまして、おもしろい記事にはなっていません。ここらのような田舎の一般の方が読まれても、同じように面白いとは感じられないのではないかと思います。

なぜここにその記事のことを書くかと言えば、島田さんという方が「本来、仏教には戒名という教えはないはずなのに、日本には戒名というおかしな習慣が続いている。」という発言をなさっているからです。

「本来」というのは、つまりお釈迦さまご在世の時代、含めるとしてもお釈迦さまの孫弟子の時代までの仏教ということなのでしょうか。

「戒名」ということについてはWikipediaででも調べれば、その歴史も含めて詳しい説明がありますので省きますが、「宗教学者」がおっしゃる「本来」の意味が、私には不明です。もしかして、戒名が位牌に書かれることが多いことから「戒名」と「位牌」を混同しておられるのでしょうか。

上記の発言に対して小川さんが仏教一般の立場ということからか、「戒名」という言葉のままでそれがお釈迦さまに弟子入りした証しで、自己を戒めるための名前だと説明しておられます。

仏教の宗派の中では浄土真宗の門徒・信徒が圧倒的に多いと何かに書いてありました。ご遠忌にむけて「お待ち受け」の法要などが盛んに開催されているようで、結構なことだとは思うのですが、方向が内側にしか向いていないような気がします。

本願寺派は一度全国紙にご遠忌関係の「広告」を出したことがあったと記憶しています、確かではありませんが。

どこかの宗派のどこのお寺にも所属しないような、宗教なんて関係ないとおっしゃる一方で、すでに仏教に関する間違った固定観念を持っておられる一般の方々に、これが仏教だ、親鸞聖人の教えだとアピールするような形で、ご遠忌の「広告」をしてもいいのではないかと思います。