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善悪凡夫人

憐愍善悪凡夫人

教学研究所編「正信念仏偈」に「凡夫人」の説明はあるのですが、「善悪凡夫人」ということについては「意訳」のところに「善し悪しの分別に悩むただ人」とあるだけです。

同朋新聞平成20年5月号の古田先生の解説には
(ここから)
阿弥陀仏の本願が、善悪にかかわらず、悩み多いすべての凡夫を憐れんで発されている慈愛であること、そして凡夫は、本願に素直に従うしかないことを説き示されたのが、釈尊の慈愛であることを、法然上人はまた明らかにされたのです。
(ここまで)
とあり、続いて、悪の凡夫も善の凡夫もともに区別なく見られていることに注意を向ける必要があると指摘なさっています。

やはり古田先生の解説が十分に分かりやすく、的を射ていると思います。「善し悪しの分別に悩むただ人」という解釈は、それはそれで成り立ちますし、何といいますか、原文に忠実であるかどうかを別にして、ワン・ステップおくなら、むしろより的確な説明であると言えると思います。

仏教的な意味合いでの善人も悪人も、一般的な意味合いでの善人も悪人も、ともにみな凡夫であるという認識は、特に一般というか旧というか、あるいは聖道門のというか、そういう仏教的な意味での善人がやはり凡夫であるという認識は、南無阿弥陀仏というあらゆるものがすくわれる法がすでに成就されてあること、それが何故に成就されなければならなかったのかということが明らかにならないうちは持ち得ないものです。

「正信念仏偈」で次に続くのは「真宗教証興片州」であって、善人も悪人もともにみな凡夫であるという認識がうまれたことによって真なる宗が興ったという意味合いがあるように思います。