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弄ばれる

私というものがあって、それが20年なり40年なり60年なり80年なりの年を重ねてきている。そう考えると、年月というものは私のうえに降り積もる雪のようなものということになるのだろうか。

つまり年月は縦方向に、上から下へと流れるイメージとしてとらえられるべきものであるということなのだろうか。

時の流れというものがあって、その流れの中に産声を上げたものが私となって、それが20年なり40年なり60年なり80年なり、それぞれの年月の間、流れに漂っている。

つまり年月は横方向に流れるイメージとしてとらえられるべきものものであるということなのだろうか。

そんなふうな図式的なことではなく、そもそも私というものも、時間というものも、それがそれとしてあるものではないからには、どちらも正しいとはいえないと考えるのがよいのではないか。

「考えるのがよい」と、自分で書いて自分で言うのもおかしなことではあるけれど、そういう一切が「考える」ことなのであって、概念を操るようなことをしているうちに概念の方に弄ばれているのが人間というものではなかろうか。(これも「考える」ことではあるけれども)

私たちはまず人にならなければならないというようなことを書いた記憶があって、確認しようとするのだけれども見つからなくて、どのような趣旨のことがいいたかったのかは今は判然としないままながら、人が人になるのが仏教ではなかろうと、今の私は思う。

それもまた「考える」ことである。けれど、人が人になるのは煎じ詰めれば倫理、道徳の教え示すことである。仏教は人が仏になることを仏陀が教え示すのである。