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お念仏

寺格自覚こそが大切だというのなら、お念仏もうすということは、極言してしまえば、なくてもよいことになるのではないかと考えます。

私も自覚ということは言うのですが、それこそが大切だというような文脈で自覚ということをお話しすることはありません。

如来の大悲のお念仏のなかで生活を営んでいるということは生かされているということであり、それはただちに往生道を歩ませていただいているということです。

そのことを自覚することが大切なのか、お念仏もうすことが大切なのか。

お念仏もうすことは自覚のないところにはありえないことですが、自覚があっても、自覚が我執を増長させるというのもよくあることです。

たとえば、といっても譬えになっていないかも知れませんが、職業として教えを説く立場にある方が、礼儀や作法、職業的習慣のほかでお念仏もうされるのに出会うことが滅多にありません。

教えを説く方法というようなもの、たとえば教学などは時代社会と共に変化もするのでしょうが、教えそのものが変化するということはありません。

ご本願というものによってご本願というものを信ぜしめられ、如来の大悲のお念仏のなかでお念仏もうさせていただくのが真宗である。たとえばそういうことが、「はずである」となってしまっているのではないかと思える状況があります。