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極めて不自然

門徒さんが総出で草を刈って下さったのが先月の22日で、もう完全に乾いています。裏の方の草はもう集めて燃やしたのですが、表がまだでしたので燃やしました。

川の土手のだいたい50mほどの間に生えていた草を、集めておくと乾きにくいので刈ったままにしておいて下さって、それを適当な量に熊手で集めて燃やすのですが、これがなかなか疲れます。

燃やし終わって、一部集めて積んであった草の下の方が全然乾いていませんでしたので拡げて、火が消えているのを確認する頃にはもうヘトヘトです。つくづく自分の体力のなさを感じます。

部屋に帰って一服して、夕方のお勤めをして、晩ご飯は頂き物のコンビニ弁当にするとして、お風呂をどうしようかと。疲れたときにはぬるいお湯にゆっくりとつかりたいのですが、お風呂をわかす気になれません。

灯油と薪などの両方が使えるボイラーなのですが、この時期に灯油を使うのはもったいないので燃料タンクは空です。裏藪から枯れ竹を拾ってきて切って割って、割って折って燃やしてお湯を沸かしています。

灯油やガスなどでお湯を沸かすのが贅沢なのか、薪や枯れ竹やゴミなどを燃やしてお湯を沸かせるのが贅沢なのか、どちらがどうなのかは別として、疲れたときこそお風呂に入りたいのに、お風呂にはいるにはまた一仕事しなければならないわけです。

実はそんなのは普通のことだったわけで、スイッチひとつでお茶でも飲んでいるうちにお湯が沸くなんてのは、こんな田舎では極めて不自然なことではないかと思ったりします。

表で草を燃やしているときにお巡りさんがしばらくT字路の一旦停止を見張っておられましたが、何もおっしゃいません。こちらも時間帯や風の向きを考えて燃やしていますし、農家の方は田圃のあちこちで畦の草を燃やしておられます。

ご近所さんを見回してももう薪なんかをたけるボイラーを使っておられる家はありませんが、ゴミの日にびっくりするほどの量のゴミを持って行かれます。何かしら不自然だという気がしてなりません。

もちろん「環境」という言葉は知っています。知っているつもりだけなのかも知れませんが、そこそこ二酸化炭素もなけりゃ草や木が枯れるんじゃないかと、ぬるいお湯につかりながら、そんなことを考えてしまいました。