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自督の詞

二日ほど前に書いた屋根の草引きと除草剤の散布に来てくださった瓦屋さんは、何年か前にひどく傷んだ屋根にあがっていて、屋根が抜けて何メートルか下に落ち、3ヶ月の入院と半年ほどのリハビリをなさったそうです。

落ちたところがちょうど土間だったそうです。いろいろな鉄製の器具が並んでいるなかの、ちょうど人一人が通れるくらいの土間の地面に落ち、左足と骨盤を骨折し、倒れるときに頭の右側をうって陥没骨折、手をついて左手首の辺りも骨折。

意識がない状態がかなりの間続いたそうで、命が助かったのが不思議なくらいの事故だったそうです。屋根に登るのが恐くなるはずだと思うのですが、どうしてもあなたに仕事をしてもらいたいというお客さんの声に押されて、復帰なさったそうです。

真っ暗な底のない穴にどこまでも落ちていくような感覚がして、後は覚えていないとおっしゃいます。鉄の機械の上に落ちていたら間違いなく死んでいたのに、土間に落ちて今命があるのは、仏さんというか、ご先祖さんが助けてくれたんだと思うとしみじみとおっしゃいます。

私などは体重が増えてから屋根に登るのが恐いばかりでなく、脚立にあがるのも恐く、庫裏の軒まわりの樋の掃除もなかなかできないのですが、一度死なん目に遭いながらまたお寺の本堂の屋根に登っておられるこの方には脱帽というか、頭が下がります。

どの巻かは今はしっかりとは思い出せないのですが、自督の詞という表現が教行信証にあります。天親菩薩の「世尊我一心」を解釈なさっておっしゃっていたんだと思いますが、この自督というのは辞書的な意味では「自己の領解」ということのようです。

落ちたのが鉄の機械の上ではなく、わずかなすき間の土間だったから命が助かったと瓦屋さんが思っておられる。命が助かったのは仏さまご先祖様のまだ生きて働けというおはからいだと感じ取られたこと、こういうことが自督であるのでしょう。