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集団ヒステリー

タバコを吸います。最近はニコチンやタールの量の少ない銘柄になりましたし、一日に吸う本数も少なくなりましたが、美味しいから吸っています。やめようと思ったことはありません。

吸い始めたのが昔のことですので記憶も定かではないのですが、確かセブンスターなどの売れ筋の銘柄は80円でした。喫煙が健康によくないとか肺気腫を悪化させる原因になるとか、そんなことは一切言われない時代で、国鉄の駅のレールの敷石の部分などはタバコの吸い殻がいっぱい落ちていました。

タバコを吸う者が歓迎されない世の中になってまだ50年はたたないはずですが、わずかそれだけの時間が経過するなかで、決して悪者扱いはされていなかったものが、国鉄の赤字を埋め合わせたと言われるものが、悪者扱いされるようになったのは、これはおもしろいことだと思います。

時代や社会、つまりは人間のものの考え方の変化によって、それ自体は善でも悪でもないものが、善とされるようになったり悪とされるよになったりするわけで、そもそも善と悪が単純に二分化できることがらではないのに、悪とされるとそれを裏づける様々な考え方が持ち寄られます。

そういうところにできあがるのは集団ヒステリーとも言える状態で、それは好ましいことではないはずなのですが、異議が片隅に追いやられるだけではなく、その状態はおかしいという第三者的立場での意見も敵視されます。

何者かの作為があるかどうかはこの際おくとして、ものの考え方が極端に偏った状態にあるとき、その裏側で起こってくることというのはやはり極端に偏ったものの考え方に基づくものであることが多いのだと思います。時代、社会が何らかのカタルシスを求めるような時というのは、概ねそういう状態になるのではないでしょうか。

症状とでも言うべきものが表面に出てきたときには、それを引き起こしている原因はすでに蔓延しているわけで、一々の症状に対応することはもちろん必要不可欠なのですが、原因の解消という根本的な解決を忘れてひとつの症状が改善されて喜んでいても、別の形の症状を引き起こすだけです。

タバコをやめようと思ったことがないということを書き出したのですが、書いていることはタバコのことではありません。さて、何の話をしているのでしょう。