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ほど遠い

お内仏の花は本堂のお下がりを使って一応それなりのものを立てるのですが、何しろお下がりですので、せっせと水を換えたりしてもあまり長くはもちません。

カラーという名前の花をいただいて、本堂に使わせてもらったのが先月の下旬のことだったと思いますが、それを今お内仏に使わせていただいています。

本堂用にと下さったものですので、お内仏には大きすぎるのですが、何とか体裁を保たせています。お内仏にあった菊の花は少し揺れると花びらが落ちてしまいますので、致し方なく廃棄ということになりました。

使えなくなったら捨てるわけです、何だかんだと立派なことを言っていても。花を人間に置き換えてみれば、実に残酷なことをして、挙げ句の果てに使えなくなったら捨てるわけです。

もちろん、花と人間を同列に考えるのは正しい方法ではないとは思いますが、たとえば、いのちあるものすべてが尊いんだ、不要な者など誰一人いないんだと言っていて、お荘厳のために一生懸命に咲いている花を切って、使い回して、枯れれば捨てている。

花と人間を同列に考えているのではないのですが、何かしら矛盾があると感じてしまうわけで、こんなふうなことではなく、気づけないから譬えがあげられませんが、実際に気がつけば明らかな矛盾であることを気づかないから行ったり言ったりしているのが人間なのではないかと思います。

改悔であるとか懺悔ということが昨今どんな意味で使われているのか詳しくは知らないのですが、自覚の範囲のことに限られるのは間違いがないと思います。ですから、自覚の範囲のことに重きを置いてお念仏もうすということは、「一心」ということ、「ただ念仏」ということとはほど遠いように思えます。