表紙

     

resources

rss1  rss2  atom03

意匠

明後日のお講さんにと、当番の方が花を持って来て下さいました。ちょうど朝から雨降りで、枯れ葉も燃やせませんので、花を立てました。

よしこれでできあがりと、一度花立てを終えて、買い物に行く道々あの花を反対側に入れた方がよいのではないかなどと思ってしまい、帰ってきてまたやり直し。

花立てひとつにしても、いただいた材料で生けて、これより他に生けようがないほどに最高の出来だということはないですね。これで勘弁していただこうというところで、納得することにするわけです、一応。

お釈迦さまのひらかれた教えが発展進歩して今の様々な教えがあるというような論旨のことをおっしゃる方がありますが、そういう言い方をするなら、お釈迦さまの直説は発展も進歩もしていないから、今の様々な教えより劣るということにはならないでしょうか。

思想はひとつの意匠であるのかというようなことをどなたかが書いておかれたと記憶していますが、教えが意匠であるなら発展も進歩もありうるのかも知れません。しかしながら、教えは意匠ではない。

こういうことであろうというところで、一応の納得を得て、お釈迦さまのおっしゃったことはこうであると、自分の解釈に教えを応じさせるようなことが行われなかったでしょうか。

教えというものが発展進歩すると考えてしまうということは、教えというもののいただき方がすでにして間違っている証拠にはならないでしょうか。

人間の業というものは、たとえば時代背景などに関わらず、同じであると言える程度にまで大差がないものだと思っています。すでに歴史が却けたものに何かしらの新しい衣装を着させて、またぞろ持ち出すのは、微笑ましいほど実に愚かな行いだと思います。