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歯切れが悪い

親にでも死なれて、迷っているのは我々である。娑婆世界でのいのちのご縁がつきた方は、ご本願の南無阿弥陀仏によってお浄土に生まれておられて、もうはや還相のおはたらきとなって下さっている。

それを、道に迷っているんじゃなかろうか、地獄に落とされるんじゃなかろうかと思うのは死者への冒涜であり、それが死者への冒涜であるだけでないのは言うまでもないことである。

こんなふうなことは、ネット上でも実際に会う僧侶からもよく聞く種類のお話であって、もちろんそれに異存があるわけではない。異存があるのではない言葉が、妙に引っかかる時とそうでない時があるのは、それを言う人に依るのではないかと思ったりしている。

実際のところ、葬儀に際してもろもろの仏教に由来しない俗習を避けるのであれば、中陰思想は仏教ではなく、七七日の勤行は過去に仏教が誤って取り入れた俗習であるから行わないという方が筋が通る。

故人を偲んだり遺族が仏教の教えにであうためにお勤めするのが中陰勤行であるなどという意味の後付けもやめるのが潔い。片方の足は俗習の上に乗っけておいて、もう片方の足で俗習を蹴飛ばすようなことをしているから、僧侶の言葉も聞く者にとっては歯切れが悪い。

昭和の時代の名のある政治家の言葉だったと記憶しているけれども、あの坊主は葬式をやらなければ実にいい坊主なんだけど、というのがある。

貧乏人は麦を食べろといった政治家もいた時代だから、何とも言えないけれども、これは今の時代だからこそ大いに耳を貸さなければならないことを含んだ言葉であると思う。