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生死

昨日書いたばあちゃんの葬儀の日に「初参り」があります。本堂のぬれ縁や階段、向拝やそのまわりを掃除している間に留守電にメッセージが録音されていました。

生死といいますが、人は生まれ人は死にます。しかし、如来のいのちは生まれもしないし、だから死にもしない。朝ご飯を抜いて掃除した空腹と疲れのなかで、何だかつくづくとそんなことを思わされました。

もう十年ほども前になるかと思いますが、真宗大谷派のご住職が輪廻はないが転生はあるという趣旨のことを書いておかれるのを読んだことがあります。いわゆる前世を記憶する子供がいることがその根拠になっていたように覚えています。

仏説観無量寿経には生死之罪という文言が何カ所か出てきますが、印象に深いのは下々品のところでしょう。うろ覚えのまま書きますが、令声不絶 具足十年 称南無阿弥陀仏 於念念中 称仏名故 除八十億劫 生死之罪だったでしょうか、間違っているかも知れません。

転生があるなら、人間の命の総数は初めから決まっていることになるだろうし、阿弥陀さまの本願念仏によって八十億劫にわたる生死の罪を除いていただく人は誰もいないに違いない。

硬直した思考で言うならそういうことになるのではないかと、横になって休んで少しましにはなったものの、いまだ少しフラッとする頭が、そんなふうなことを考えています。さて、そろそろ重い身体を持ち上げて、空腹の虫をなだめる準備をすることにしましょうか。