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報土化土

日本における源信僧都の業績は、中国における道綽禅師の業績に似たところがあるように思えます。道綽禅師はお釈迦さまご一代の教えを聖道門と浄土門におさめられ、浄土門にこそ通入すべしとお示しになりました。

源信僧都は、お釈迦さまご一代の蔵経を五遍読まれて、その教えを念仏一行におさめとられました。その業績が日本の浄土教の原型となっているわけです。

源信僧都のさらなる業績は、阿弥陀さまの報土に報土と化土を弁立されたことです。お念仏を執持する心に深い浅いということがあり、一心一向にお念仏を修する専修念仏は深く、お念仏を他の行をまじえて修する雑修は浅い。

専修とは他力念仏であり、雑修とは自力念仏だと言えると思いますが、それはお念仏の側に他力・自力の区別があるのではなくて、お念仏もうす側の心によって区別しなければならなくなるということでしょう。

お念仏は他力のおはたらきであるけれども、お念仏もうす側の心によって自力の念仏にもなり、だから、阿弥陀さまのお浄土、報土のなかに真実と方便の区別をうむことにもなる。そういうことだと思います。

真実報土だ方便化土だという難しいことを言わなければならないのは、お念仏をもうす側、お念仏をいただく側の心のありようによるのであって、なるほど確かに私の心をのぞいてみれば、それは大いに頷けることであるのです。