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環境 (3/26)

掃除をしていて、並べてある石の間に落ちている枯れ葉が取れないので、石をどかしてみると、小さなカエルが隠れていました。保護色になっているので、手で触るまでそれがカエルだとは気がつきませんでした。

そうとは知らずに生き物を手で触ったときのあの感触を、何といえばいいのでしょう。

まだまだ寒いこの時期、しかも冷たい雨の中、石の下に隠れるのは、やはり生き物の本能というか、智慧というか、そういうもののなせることなのでしょう。

習性というのは、字の通り習い性なのでしょうが、そこに本能、智慧というもののはたらきがあるから習い性となるに違いないんだと思えます。

いのちそれぞれのあり方に合ったことが習性になるのであって、根本のところでは、人間様が寒い冬にたくさん着物を着込むのと同じことなのでないのでしょうか。

今日たまたま安眠を妨げて驚かせたカエル君も、感覚が鈍くなってしまった右手で引っこ抜いた草も、それを高いところから見ている竹も、それぞれがどれだけの本能を与えられ、生きる智慧をもっているのかなどということは、二本足でふんぞり返ってあわや転げそうになる人間様には分からないことです。

環境ということを問題にしないわけにいかなくなってきていますが、人間様が環境と言うときには必ず人間様の考える範囲での環境であって、もちろんそれでよいわけですし、それを超えることはできないわけですが、環境というのは、本来はきっと人間様が言っている範疇のもの・ことではないのではないかと、そんなふうなことを思いました。