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私-2-2 (2/20)

実際にはこのご縁というものは、いただこうとしていただけるものではありませんし、いただかないでおこうとしたらいただかないことができるものでもありません。

それぞれがそれぞれにいただいてきたご縁の現在の結実として今ここにあります。ここにあるご縁の結実は、もともと私ではないのに私はそれを私と言い、私がここにいると思っています。これは自我のなせることで、私がここにいると思うこと、それもご縁であるわけです。

どうもややこしいうえに正確には言えないのですが、これからも私たちはご縁をいただき続けます。たとえば病気というものは、これはできればいただきたくないご縁でしょうけれども、病気になる時には病気になります。

私がここにいると思っている私は自分に都合のよいご縁はいただきたいけれど、都合の悪いご縁はいただきたくない。けれども、このご縁というものはただいただくばかりのものなのです。あれはほしいけれどもこれはいらない、そういう私の思いがまったく通じないものなのです。

ご縁のかたまりであるのに私があると思っている私は、ご縁をいただくばかりのものであるわけです。私がいてその私がご縁をいただいていくのではなく、今までもそうであったように、ただご縁をいただいて、そのいただくご縁のままに生かされます。

最後に確認しておきますが、これはいわゆる運命論ではありません。すべてが決まっていて、それに逆らうことができないというようなこととは違います。運命論は人間の間違った見識が作ったものです。

一番分かりやすいかと思う例をあげますと、運命論で言えば人間は死ぬことが運命づけられていますが、無生を説く仏教では無生であるがゆえに無死であると言うわけで、ご縁ということを説く仏教は運命論ではありません。これについては別の機会にお話しします。