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生(しょう)-2 (2/16)

生まれていないというのではありません。生まれていないということではなく、私は私として生まれたのではなくて、ご縁に因っていのちが生まれ、それを今私が私と言っている。私が私として生まれたのでなく、ご縁に因って生まれたという見識、これが仏教の言う無生の意味です。

私たちは私が生まれたと思っていて、私が思っている私が生まれたということの内容をよく知らないままでいて、普段そんなことについては考えたりしないし、改めて考えてみることもなくなっています。そういう私たちに対して、仏教は無生ということをいうのです。

自分では気づかないままに私たちは間違った見識を持ってしまっているということを仏教は指摘します。そして、その間違った見識が元になってさらに別の間違った見識を持つ。ついには、その間違った見識が自分自身を苦しめることになると指摘します。

お聞きになったことがあるかと思いますが、四苦という言葉があります。生・老・病・死の四つの苦ということですが、その一番初めは生苦です。この生苦ということはいろいろに説明されますが、一つには生まれるということについての間違った見識が苦をつくるということです。

ちなみに、私たちが持っている生についての間違った見識は「亀毛」のようなものだと言われています。亀毛の亀は亀で、亀は長生きするようで、長く生きているうちに甲羅に藻がついてくる、その藻が毛のように見える、それを亀毛と言います。本来あり得ないものごと、実際にはないことを言っているわけです。