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真宗 (2/8)

たとえば、成仏が目的であり往生は手段であるといようなことを仮定してしまうところに成仏と往生は分断されてしまいます。

回向ということとは別なのですが、譬えとして言えば、往相と還相と相は二つあるけれども体は一つである。

もともと一つである体を、人間の知恵が二つに分断してしまって、分段したことを棚の上に上げて、やれ目的だ手段だというのはおかしなことです。

分断されて、では成仏ということがどうなるかといえば、たとえば生きていた時の行いの善悪によって定まることとなります。

それでとどまればよいのですが、とどまることがなく、やがては追善供養などということが仏教の本来の教えであるかのように大手を振って歩き出すわけです。

親鸞聖人の教えは念仏往生の願を根本とした念仏成仏の教えである。それは仏教のなかの浄土教の真なる宗であるのでなく、仏教の真なる宗であるのです。