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箱庭 (1/25)

お念仏は、他力の発遣の外になく、他力の回向がお念仏のすべてである。

自力の念仏だ他力の念仏だと、そういうことは、たとえばすでにある教科書的な歴史を語らねばならない時に、あえて言うだけのことである。

他力のおはたらきでなければ、阿弥陀仏はあっても南無はないままだろうし、南無は常に南無すれば浄土に往生できるといわれて頭を下げる南無であろう。

もっとも、そういう南無が、雲霧に覆われていた真実信心にふれる機会となることはもちろんある。

自力の念仏だけではなく、自力の万善が他力回向ということを証明(傍証)するものである。

つまらない譬えしか思いつかないけれど、たとえば世界を凝縮した箱庭みたいなものを仮設して、そこにおいて自力の万善を尽くし切ってもなお仏ならぬ我が身を観て、気づくこともあるのだろう。

さて、仮設された「世界を凝縮した箱庭みたいなもの」の中にいない者はいるのだろうか。