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光明名号顕因縁 (1-20)

光明名号顕因縁


阿弥陀仏が本願によって智慧の光明を縁とし、名号を因として、生きとし生けるものをすくいたもうことで、善導大師は『往生礼讃』に、「しかるに弥陀世尊、もと深重の誓願をおこして、光明名号をもって十方を摂化したまう。ただ信心をして救念せしむれば・・・」と言われ、これをもとにして『教行信証』「行巻」には、弥陀の名号は信心をうみだす原因であるから慈しみ深い父にたとえ、衆生をはぐくみ疑の闇を破る智慧の光明は信心を養い育てる縁であるからあわれみ深い母にたとえ、「徳号の慈父ましまさずば、能生の因かけなん。光明の慈母ましまさずば所生の縁そむきなん。能所の因縁和合すべしといえども、信心の業識にあらずば光明土にいたることなし」と言われ、あらゆる衆生が平等に救われゆくいわれを明らかにせられた。

以上が教学研究所編「正信偈」の説明で、特に付け加えたりすることはないように思いますが、敢えて言うならば、「能生の」であり、「所生の」であることの確認でしょうか。

あらゆる衆生がすくわれるべき法が如来の方に成就されてあり、その法はまたただ法としてあるばかりでなくはたらきとなって下さる。法が実に智慧としてはたらいて下さることが慈悲であり、智慧のお念仏は如来の回思向道の慈悲である。

自力をたのむこころには、能生の因は自力修行にあるものと見えるのでしょう。だから所生の縁ということも、これは自分が励む行によってつくれるものであるということになる。

回因向果の思いがあるかぎり真実信心をいただくということはあり得ないのでしょう。