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いただきます (12/26)

お米をとぐ手が痛く感じるような水の冷たさです。それでも空腹を満たすべく、ご飯をいただくためにお米をとぎ、ご飯を炊きます。最近では洗わなくてもよいお米という意味で無洗米というのがあるのだそうですが、普及しているのでしょうか。

うちのお寺の前を流れる川の水がきれいだった頃は、この時期に道を歩けば誰かが大根を川の水で洗ってらして、挨拶すると「一本どうや」と言って下さって、いただいて帰るというようなこともありました。

洗わなくてもよいように糠を完全に(?)取り去ってしまっておくということは「簡単」という付加価値をつけるということなのでしょうか、当然その分値段は高いのでしょうね。

川の水が見た目はきれいだと言っても、泥を落とすのには使えても、やはりそのまま料理するわけにはいきませんから、水道水で洗うわけです。手間をかけて育てた大根とスーパーで売っている大根、どちらが経済的なんでしょう。

コンビニで売っているお弁当、安い物なら400円以下で、かなり美味しいものがあります。あれだけのお弁当を自分でつくるとなると、絶対に400円では無理なわけで、それならコンビニのお弁当ばかり食べれば良さそうなものですけれども。

ご飯をいただく前に「いただきます」という習慣がなくなったなどということがよく言われます。他者のいのちを頂くんだ、と。それは確かにそうなのですが、それだけではなく、むしろ、「手間」をいただくということではないのかと思ったりします。

材料を採ってきて、下ごしらえをして、料理して、盛りつけてという「人の手間」を「いただきます」ということは、お陰さまを知らせていただくということだと思います。