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善悪 (12/17)

何が善であり何が悪であるか。たとえそれが知れるとして、では、善をなし、決して悪を為さないでいられるのか。こういうことは問題にされるべきではあると思います。

そもそも善悪を自分の思いで判断することが悪ではないのか。それが悪ではないとしても、少なくとも日常の生活の中では、そういう判断を繰り返すしかないのが私たちであり、しかも私たちは必ず間違う者であるわけです。

証果を得る者がないとされる末法の世に生まれたことを強く意識なさり、座禅の修行を続けられ、加えて仏性を説く「涅槃経」を読まれた道綽禅師にとっては、浄土門ただひとつが歩むべき仏道として見いだされた。そこに「一生造悪値弘誓 至安養界証妙果」ということが、善悪をはなれて、確かなこととなったのでしょう。

一仏の所説をば、すなわち一切諸仏同じくその事を証誠したまうなり。これを「人に就いて信を立つ」と名づくるなり。(教行信証「信巻」)

曇鸞大師が仙経を捨てて浄土の教えに帰されたという事実、道綽禅師が万善の自力修行を勤修することを「貶」し、浄土の教えに帰されたという事実は、上に書いた教行信証「信巻」の言葉を思い起こさせます。