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悲引 (12/15)

教学研究所編「正信偈」にある語句の解説では、

悲引:慈悲をもって本願海に導き帰せしめること。

弘誓:ひろく一切衆生を救わんと願われて、その願が成就しないならば仏にならないと誓われた阿弥陀仏の本願を言う。

値う:「もうあう」と読む。ただあうばかりでなく、信ずること。

安養界:心を安んじ身を養う世界。阿弥陀仏の浄土を言う。

妙果:無上涅槃のさとり。

とあります。

平成19年5月の同朋新聞の古田先生の「正信偈」には、「親鸞聖人は『同じく悲引す』と詠っておられるように、道綽禅師が、これらの時機の人びとを等しく哀れんで、他力の信心の教えに導き入れようとしてくださったと、讃えておられるのです。」とあります。

悲引ということが教学研究所編「正信偈」の解説のような意味であるなら、単に一個人の慈悲ということではなく、如来の慈悲ということになると考えるのですが、古田先生の解釈では道綽禅師が慈悲のこころでと読めます。

この部分の解釈としては古田先生の読み方が正しく、道綽禅師が像法・末法・法滅の時期の衆生を哀れんで、本願海に導き帰せしめられたということなのでしょう。末法と言われる世の道綽禅師がおっしゃるなかに像法とあるのも、証果を得ることがないということで納得のできることです。

しかしながら、やはり親鸞聖人が悲引とおっしゃるのは、如来の慈悲ということであり、如来の慈悲が道綽禅師という人を通して、証果なき時期のあらゆる衆生を本願海に導くということであろうかと思います。