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一生造悪 (12/14)

「一生造悪値弘誓 至安養界証妙果」に関係するかと思われることで、曾我先生は「真宗の眼目」のなかで

(ここから抜粋)
『観無量壽経』の一番要点であるところの、即ち『大無量壽経』の第十八願の終局するところを現わしたものであると考えられて居るところの『観無量壽経』の下々品は正しく臨終の機に就いて、念佛往生の本願の利益を現わしたものである。一生涯の間悪という悪を造り、佛とも法とも夢にも知らなかったところの人間が愈々重い病に罹り、とても病気平癒の見込みがなく、命旦夕に迫るその時に初めて、今更に経来たったところの自分の過去を省みて、死の恐れというものに襲われる。その時に不思議にも宿善開発と云いますか、善知識が現われて、いろいろ佛の本願のことなどをお話しするけれども耳へはいらない。平生何も聴いて居らんのである。だからして平生に何等の準備がない。病気に責められてそれを理解することが出来ない。そこで善知識は転教口称、本願憶念の方法を転じて口に称名念佛するという法を教えたのであります。
(中略)
そうして具足十念のお念佛を称え終るとともにそこに静かに息を引き取って目出度く往生を遂げた。
(中略)
権方便的支流が繁栄を極めてそうして本流が枯れてしまった。それが支那浄土教の一面であります。それがそのまま日本へ流れて来まして源信和尚の『往生要集』となり、そうして法然上人の『選択集』が出来上りました時に、そこに一大転機というものを促したのであります。つまり法然上人は外より促し、我が開山聖人は内より応へて、ここに『観経』宗が終わりを告げて、本来の『大無量寿経』宗というものに立帰って来ました。それが即ち浄土真宗というものであります。
(ここまで抜粋)

というようなことをおっしゃっています。

道綽禅師の「安楽集」は「観経ノートというべきもの」という記述が教学研究所編「正信偈」にあり、なるほどそういうことかと思うわけです。