表紙

     

resources

rss1  rss2  atom03

三不三信 (12/12)

天親菩薩は『浄土論』で「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」とおっしゃいました。この冒頭の「一心」に対し、曇鸞大師は『論註』で凡夫の信心を不淳・不一・不相続となさいました。これが三不信です。

この三不信を受けて、道綽禅師は『安楽集』のなかで三不三信ということをおっしゃっています。ちなみに『安楽集』は主として観経によって念仏の真義を説いたものとされているようです。

一者信心不淳 若存若亡故
[若存若亡:もしくは存し、もしくは亡ず。信心が不純であるから、ある時は信じ、ある時は疑う。]

二者信心不一 謂無決定故
[決定(けつじょう)無きが故に。(決定があれば一心である)]

三者信心不相続 謂余念間故
[余念間故:他の仏を念じたり、他の善行を心にかけたりする思いがまじわるが故に。]

このように道綽禅師が教えられたことを慇懃と親鸞聖人はおっしゃっているわけです。

三不信は「自力の信心」、それに対して淳心・一心・相続心は「他力の信心」ということができるわけですが、これは、天親菩薩のおっしゃる一心、道綽禅師のおっしゃる三信が親鸞聖人にいたって「他力の信心」となったというべきであると思います。