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道綽禅師 (12/11)

教学研究所編『正信偈』によれば、道綽禅師は西暦562年の生まれ、14歳で出家され、西暦609年に玄中寺で曇鸞大師の碑文に出遇われ、浄土教に帰されたとあります。

自力の座禅の修行をかさねられ、涅槃経を深く学ばれたからこそ「禅師」と呼ばれていた方が、一度の碑文との出遇いによって浄土の教えに帰された。これをどう受けとめるかは、これは考えるべきことではないかと思います。

やはり座禅の修行をかさね、涅槃経を学んでおられる間にも、浄土の教えとの出遇いがあったと考えるのが自然ではないかと思います。自力の修行に励むのであるけれども、聞こえてくるところの浄土の教え、南無阿弥陀仏の呼び声というものに、こころ動くものを感得して居られたということではないかと思います。

親鸞聖人と法然上人との出遇いの相似形がここにもあったのであり、聖覚法印にあたるのが曇鸞大師の碑文であったのであろうと思います。こういうことは、私が勝手に曾我先生の「真宗の眼目」第2講を読んで思うに過ぎないことではありますが。

<参考>
開山さまは家庭に居る時に既に念仏を知っておいでになった。けれどもたゞその念仏は漠然とした念仏でありました。だからして別に念仏ということに就いて特別注意を払わない、たゞ漠然としているに過ぎなかった。二十九歳の時に法然上人の御名声は恐らくは既に夙くから御聞きになって居ったに違いない。しかしながら聖人は偏に楞厳横川の恵心僧都の遺徳を慕うた。恵心僧都の行跡を深く慕われた。この比叡山横川に隠れて、そうして静かに厭離穢土・欣求浄土、静かに念仏の行を修しておいでになりましたところの、床しい源信和尚の行跡を深く慕うて居られた。
(曾我先生「真宗の眼目」第三講より)