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自見の覚悟 (12/5)

御同行とか御同朋とか、こういう言葉をお念仏をいただく仲間やお念仏もうす友人を指し示すようにいう人がありますが、そうではないと私はいただいています。言い方が低俗ですが、お手々つないでいては合掌はできません。

こういうことを言うと、お聖教にはこう書かれているではないかとおっしゃる人もあります。そういう人が、たとえば「変成男子の願をたて」ということは時代に合わないとおっしゃる。他人さまのことだけを言っているのでなく、自分も同じことをしたり、言ったりしています。

どうしても人は「自見の覚悟」を交えずにいることができません。だから人間なのだと言うこともできるのでしょうが、この「自見の覚悟」ということは、やはり宿業ということを言うと考えるべきではないかと思います。

私という者は、御同行とか御同朋をお念仏を通しての仲間や友人ととらえることができませんが、御同行とか御同朋を仲間や友人としかとらえることができない方もいらっしゃるのでしょう。

そういう考え方の違いを認め合うことが大切だとおっしゃるのは、道徳的な意味の範囲で分かりますが、教義としてどういう位置づけになるのかという議論は積極的に行われるべきではないかと思います。

これはまた別のことになりますが、たとえば、永代経は真宗寺院では報恩講に次いで大切な法要だとおっしゃる方が居られて、寺院の実務からすればそうおっしゃるのは分かるのですが、儀式概要に掲載のない法要が2番目に大切であるとは考えにくいわけです。