表紙

     

resources

rss1  rss2  atom03

誕生 (12/1)

如来の真実信心のおはたらきである南無阿弥陀仏をいただき、お念仏もうして、すくわれたいと願う。それは、すくわずにはおかないとおっしゃる如来の願心とお出遇いすることである。

願えば願われていたことがわかる、願われていたから願いをいただくことができた。南無があり、そこに阿弥陀仏がある。阿弥陀仏があり、そこに南無がある。

こういう相即の関係は、どこかの学者さんの論考の中にあるのではない。民衆の歴史の中に繰り返されてきた事実である。学者さんの論考は、むしろそういう歴史を解釈する中に発見される事実の論理的認定であると言える。

人間はすべて、本能としか言いようのないものとして、すくわれたいと願うこころの種とでも言うべきものをもっている。人間の側から言えば、それと呼応するのが如来の本願である。

如来の誕生と人間の誕生は時を一にする。すくう如来の誕生は、すくわれる人間の誕生を離れてはない。すくわれる人間の誕生と離れて、すくう如来の誕生もない。

オギャーという自身の声を自身の耳で聞いた者はいないのに、私が生まれたという。初一念のなむあみだぶつの産声は自身の耳にしか聞くことがないのに、それこそが本来の誕生であったと知る者は希である。