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悪を転じる (11/29)

私事ですが、50歳をすぎたときから頭髪を短くしています。不精者ですので自分で剃髪するのではなく、同級生の散髪屋さんでほぼ2週間に一度、2ミリに刈ってもらっています。

父親は30代半ばで頭の両側と後ろを残して禿頭になりました。髪が伸びるところは、バリカンを買ってきて自分でときどき刈っていましたが、晩年はバリカンを使うことも少なくなりました。

髪の毛は伸びます。白髪でも伸びます。ほぼ2週間に一度刈ってもらわないと、私の気分も見た目もすっきりしません。

一度教えをいただいたからもうそれでよいというのは、一度散髪してもらったからもうそれでいいというのと同じようなことです。髪は伸びますから、自分も気持ち悪くなりますし、人目にも見苦しくなることは分かりますが、一度いただいた教えは、どうでしょう。

お釈迦さまのお弟子さんのチューラ・パンダカ(周利槃陀伽)という方は毎日掃除をしていらした。昨日掃除をしたからといって、今日はしなくてよいということがない。毎日毎日ゴミはたまるわけで、心も同じように毎日毎日垢がたまる。そのことに気づかれ、心の垢を払い落とそうとつぶやきながら掃除を続けられたそうです。

心の垢というものは掃除しても落ちるものではありません。教えをいただいてもなくなるものではなく、教えをいただけば私という者が心に垢をため込んでいる者だということが分からせてもらえるということです。

生活の中で教えをいただく私は、ややもすると教えによって心の垢がなくなると思いがちで、その思いもまた心の垢となります。

念々相続する大行である南無阿弥陀仏は、心の垢がさらなる垢をつくらない、垢が垢でありながら汚れでなくならせるといえばよいのでしょうか、そういうはたらきです。

悪を転じる、悪を転じて徳を成す正智であるがゆえに円融至徳の嘉号といわれる南無阿弥陀仏、これを離れたところに生活があるわけではないのです。にもかかわらず、身なりや人目は気にして、垢のうえに垢をため込んですこしも気にしないで居る私とは何者なのでしょう。