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荘厳美 (11/28)

うちのお寺のある門徒さんが、今では「真宗本廟」が正式名称となっているいわゆる「本山」へ2泊3日の研修に行かれた後で、「あれはあかんわ」と話されました。この「あかんわ」という言葉のニュアンスを分かっていただけるのは関西地区の方だけでしょうか。

荘厳美というか、厳粛な雰囲気に圧倒される、それを「あかんわ」とおっしゃったのです。正直に言うと、そんなことをおっしゃるとは思いもよらず、何とも鋭いことをおっしゃると感じました。

うちのお寺の門徒さんの中には、様々な行事などで本山に数十回参拝して、これだけ来るなら何か記念になるものを来る度に買い求めてみようということで、「東本願寺」と書かれたお茶碗を買うことにして、それが100個になって、もう買うのを止めた方がいらっしゃいました。

お茶碗を買うのを止めてからも上山なさっていましたので、おおかた200回ほどは本山に行かれたように思います。「あれはあかんわ」とおっしゃった門徒さんが「そうなるのが分かるような気がする、あれは病み付きになりかねん」とおっしゃいました。

雰囲気に圧倒され、神妙な気分になる。それ自体は善いことでも悪いことでもないのでしょうが、そういう気分を味わうことによって、何かしら自分が浄化されるように思うと、そのことの善悪は知り得ませんが、それは違うと思います。「病み付き」というと言い過ぎのように聞こえるかも知れませんが、言い得て妙だと思います。

私自身は小学生の頃に何度か「日曜学校」のメンバーとして上山しました。当時は「児童大会」というような言い方だったと思いますが、夏休みの楽しみのひとつでもありました。

学生時代には京都に下宿しましたので2度か3度行ったことがあります。参拝ではなく、通りがかりにのどが渇いて、ただで飲める何とも言えない味のお茶をいただきに行っただけです。

そんな学生だったせいか、お寺の仕事をさせていただくようになってから、どんどん本山というか、それに象徴される組織が嫌いになり、今に至っています。親鸞さんには私なりの思いがありますし、その教えには少しの疑念を持つこともなくなったのですが、「組織」には悪い印象しか持てません。

「親鸞聖人がご覧になったら」、「ご開山が居られたら」というのはあちこちでよくお目にかかる表現で、少し言いたいこともあるのですが、今はその言い方を借りるとして、今現在の真宗のあり方を宗祖はどう受けとめられるのでしょう。いろいろな意味で「あれはあかんわ」とおっしゃるのではないかと、私などは思うのです。

正・像・末ということについて、宗祖は言葉そのままには受け取っておられなかったと聞きますが、真宗ということで言えば、大袈裟なようですが、既に法滅の時代になっているのではないかという気がします。

正直な感想をいうまでのことで、悲観しているわけではなく、法は伝えるのでなく伝わるものですから、組織や団体とは無関係に、伝わるところには伝わっています。