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犬が吠える-2 (11/9)

あるお寺の方のサイトで「仏教は『無我(非我とも言う)』を説きますので、自分の魂なるものが永続的に残っていくという考え方はしません。なぜなら、それは差別につながる可能性があるからです。」と書かれているのを見ました。

上に抜き書きしたのは一部分なのですが、全体としてこの方のおっしゃりたいことは分かるような気がするのです。共感はできないけれど、全体としては分かったような気になるのですが、この一部分が分からないのです。

私の分からない部分から特にひっかかるところを書き出しますと、「なぜなら、それは差別につながる可能性があるからです。」という部分です。

文章の構成が分かりにくいのですが、「仏教は『無我(非我とも言う)』を説きますので、自分の魂なるものが永続的に残っていくという考え方はしません」と「なぜなら、それは差別につながる可能性があるからです。」はどうつながっているのでしょう。

また、「なぜなら、それは差別につながる可能性があるからです。」の「それ」は何を指しているのでしょう。

「仏教は『無我(非我とも言う)』を説きますので、自分の魂なるものが永続的に残っていくという考え方はしません」ということ全体の理由として「なぜなら、それは差別につながる可能性があるから」があるのでしょうか。

「自分の魂なるものが永続的に残っていくという考え方はしません」ということの理由として「仏教は『無我(非我とも言う)』を説きますので」と「それは差別につながる可能性があるから」が二つ並列的にあげられているのでしょうか。

「なぜなら、それは差別につながる可能性があるからです。」の「それ」は「仏教は『無我(非我とも言う)』を説きますので、自分の魂なるものが永続的に残っていくという考え方はしません」を指してはいないと考えられます。「無我を説く仏教では魂が永続的に残るとは考えない」ことが「差別につながる可能性がある」とは考え難いからです。

ですから、「なぜなら、それは差別につながる可能性があるからです。」の「それ」は「自分の魂なるものが永続的に残っていくという考え方」を指していると考えるのが適当です。

そう考えると、魂なるものが永続的に残っていくという考え方をしない理由として「仏教は無我を説く」という理由と「差別につながる可能性がある」という理由、この二つをあげていると理解するのが適当になってくると思われます。
(まだ吠えます)