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聞く-1 (11/4)

「聞く」ということは学習することとは別のことです。そう思っています。と書いて思い出しましたが、昔、学習研究社という出版社から「学習」と「科学」という雑誌が出版されていました。

今もあるのだろうかと思ってネットで調べてみたらあるようですね。小学生の頃、買いたいと思うときもあって、でも、買わなかった記憶があります。

ついでにネットにある辞書で「学習」の意味を調べてみると難しいことが書いてあります。辞書に書かれている「学習」の意味は、やはり、どれも「聞く」ということとは質の違うものです。

この文章を書いている今もいろいろな音が聞こえてきます。風の音、風に吹かれる木々の葉の音、遠くで犬の鳴く声。幸いなことに今も耳は遠くなっていませんので、聞こえます。

窓の下を通る道が舗装されるまでは、夜は静かで、耳をそばだてても何も聞こえない夜もあったのですが、舗装された今ではけたたましい音の車やバイクが通ります。

そういう音が気になって仕方のない時もあれば、何も気にならない時もあります。こちらの気持ちのありようだということでしょう。

曾我先生が『真宗の眼目』第4講のなかで
(ここから)
人間の了見が間違っているというと我執が募って居る。大勢寄るとうるさくてたまらん。一人で居ると淋しくてたまらん。一人で居れば一人で居って書物を読む。一人で居って書物を読む人は大勢居っても読む。本当に心が静かであれば、自分の側に子供が幾ら噪いでもやはり静かだ。
(ここまで)
とおっしゃっていますが、了見が間違っていて我執が募っているから犬の散歩の方同士が立ち止まってしゃべっておられるのも「うるさくてたまらん」時があるわけです。