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お話-4 (11/1)

自分が500回近くお講さんでお話をしてきている間、いろいろと他の方のお話もお聞かせいただいてきたのですが、今思い返してみると、多くは「意味の後付け」を含むお話です。

私の場合、特に何かに記録をしているわけではないので断片的にということになりますが、どういう方がどういうお話をして下さったかということは、不思議なことに覚えています。

特に記憶力に優れているわけでもないから、覚えようとして覚えたことは忘れるけれど、覚えようとしたのでないことは覚えている。そういうものなのでしょうね。

たとえば、人間というものを上・中・下に分けるとして、自分はどこに入ると思うかという質問をなさった方がありましたが、それはいいとして、自分が上・中・下のどこに入るかということに対する「自分の判断」をもって観経の九品を説明するのは意味の後付けになると思います。

意味の後付けというより、言い方が悪いですが、お話の筋道を通すためのこじつけという方が正確だと思います。昨日(10/31)書いた「平等」についてのこともお話にならないけれど、こじつけを聞いていると、頭の中で「なぜそうなるんだ」と繰り返してしまいます。

で、これは変人の私だからそう思うのでしょうが、今更にして気づくことのひとつは、本当にお話を聞かせていただきたいと思う方はほとんどお話しなさらないということです。

今更にして気づくことのもうひとつは、近郷近在のご住職や私がお出遇いしたお寺の方のなかに、この方のおっしゃることをお聞きしたいと思う方がいらっしゃらないということです。これは多分に私の驕りの所為なのですが、それにしてもいらっしゃらない。