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分かりません (10/25)

京都教務所の駐在教導をなさっていた方による「三帰依文」の説明が手元にありますので、一部を抄出して、私なりの文章に直して紹介します。

(ここから)
明治維新を経てヨーロッパ各国やアメリカ合衆国の列強国に負けない近代化をしようとして、明治政府は統一国家体制の確立をめざし、国家体制と国民思想統一の基本理念に神道を置き、天皇を神格化し、臣民赤子として国民統轄を図った。
その策のひとつに宗教統制を挙げ、神道を国家宗教に位置づけ、国民は従来の宗旨を捨て、神道儀礼に依るべしとして「国家神道令」を発布した。廃仏毀釈、すなわち釈尊の教法を捨てよと命じたのである。
この明治政府の宗教政策に対し、日本仏教団、各宗各派は思想統制・宗教管理は許容できない旨を表明し、国家神道令発令直後、各宗各派の学識者代表が協議を重ね「三帰依文」を考案した。
明治23年に至ってようやく発句経・華厳経・無量義経の中から撰出した文言を延べ書体とし、前後は導唱、中は全員唱和することになった。
(ここまで)

ちなみに、例えば真宗大谷派 名古屋教区 第30組のweb siteにあるとおり、大内青巒師の制定であると私も聞いています。

ご開山のご遠忌に「三帰依」なら分からないでもないのですが、明治時代にできた「三帰依文の誓いに立つことが願われている」となると分かりません。

簡単に言えば、ご開山は「阿弥陀如来に願いをかけられた身である」ことをお示し下さったのだとお聞きしています、その阿弥陀さまの願いが具体的には南無阿弥陀仏であると。