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往相・還相、智慧・慈悲 (10/20)

還相も他力のご回向であり、そこに同時に他力の往相のご回向があるから還相がある。往相があるから還相があり、還相があるから往相がある。

ちょうど夫婦のようなもので、夫があるとき妻があり、妻があるとき夫がある。妻がないとき夫はなく、夫がないとき妻はない。そして、そもそも夫がないときに夫婦はなく、妻がないとき夫婦はなく、夫と妻があってはじめて夫婦である。

どなたの文章だったか忘れたけれども、仏教のなかに智慧から慈悲への展開がある、釈迦三尊の脇侍は智慧の文殊菩薩と慈悲の普賢菩薩であるというようなことが書かれていた。

そのまま当てはめるのには無理があるのだろうけれど、無理を承知で言えば、往相が智慧なら還相は慈悲であり、それは同時に往相が慈悲なら還相は智慧である。

違いがあるのは、仏の方からみるか、我々の論理による説明を聞くかということによる。

諸有衆生が化すのは還相のご回向によるのであるけれど、それはそのまま往相であって、往相があるから還相があるというのでなく、往相と還相は同時にあるのであり、体は一つの南無阿弥陀仏である。だから総じていえば南無阿弥陀仏によって諸有衆生は化すのである。

以前に紹介した『一言芳談抄』の法然上人のお言葉、「南無阿弥陀仏とかみて、南無阿弥陀仏とて」ということは、今更ながら深い言葉であり、このお言葉を借りれば、我々はただ南無阿弥陀仏とかみて、南無阿弥陀仏とて、くとのみ入って、私のものにしている命を終えて、阿弥陀さまのいのちに帰るべきなのでしょう。