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還相の菩薩 (10/17)

二十年近く前に小川一乗師のご法話をお聴きしました。その時のお話は後に『大乗仏教の根本思想』として本にまとめられました。

例えば「かくては、ついに一貫した仏教の真理の体というものはなにもないのであります。その史観の上に一貫した仏道精神はなんにもなしに、いたずらに学究的仏教史というもののみが残る」などと曾我量深師が批判されるようなものでない学究的仏教史が語られていると感じたものでした。

と、思い出話はともかく、最近思ったことなどを書いている曇鸞大師の往相回向・還相回向について、なぜそこまで往相・還相と親鸞聖人もおっしゃるのかと私には思える(た)のです。

しかし、往相・還相ということに「浄土教」の本質が大きく関わっているわけで、真宗の真宗たる所以もそこにあると言っても過言ではないかと思います。

ひと言でいえば如来のご回向、最近書いている曇鸞大師を例とすれば、往相がそのままに還相であり、だから梁の天子は曇鸞大師を還相の菩薩と感得して「常向鸞処菩薩礼」だったのでしょう。

以前『正信偈』のこの部分を説明して、念仏禁止令を出した時の政権への親鸞聖人の怒りがあらわれているといった趣旨のことを言っておられる方がありましたが、そういうことではないのではないかと思います。