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涅槃 (10/11)

煩悩、迷いが滅したところが涅槃であるのでなく、すべてが滅するところが涅槃である。

すべてが滅するということは死ぬことだから、死ななければ悟りは得られないということになる、そんなふうに考えるのは間違いです。すでに生あり死ありという邪見にとらわれているからそんなふうに考えるわけです。

すべてが滅するということを言葉で説明する力がないのですが、龍樹菩薩の思想で言えば空であり、それは釈尊の縁起であり、あるいは無生法忍と言ってもよいかと思います。

如来が私となりきって下さると10月2日にも曾我先生の言葉を借りて書きましたが、如来が私となりきって下さる時には私はすべてが滅するわけです。

生あり死ありとしているから、それに対しては無生忍であり、何かしらの実体を仮定しているから、それに対しては空であるわけで、実には縁起ということです。

(続きます)