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惑染の凡夫 (10/9)

煩悩をおこすということと、煩悩が身に染みているということは違う。

『一念多念証文 』には「凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ多くひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえずたえずと水火二河のたとへにあらはれたり」とある。



煩悩の滅などという言い方があるようだけれども、これは煩悩が身に染みてこんでいる惑染の凡夫という自覚のあるところには成り立たない言い方ではないのだろうか。

理屈で生身の人間を解釈して、煩悩をおこす身であるというかぎりにおいて煩悩の滅ということがあって、実際には煩悩が滅すればこの身すべても滅する。煩悩だけの滅などということはありえない。

惑染の凡夫にとって滅ということはすべての滅であり、実は滅ということの本来の意味は完全なる滅であると思う。

証知生死即涅槃の涅槃の漢語訳は滅であり、生死即涅槃は、涅槃=滅を煩悩の滅ではなく完全なる滅としなければ成り立たない。