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喜捨 (10/7)

慈・悲・喜・捨を仏の四無量心というらしい。慈悲という熟語もこれからできているそうで、あくまでも仏の方のことである。

もともとの意味での慈も悲も我々にはあろうはずもないのだけれども、慈悲となると、衆生縁の慈悲、小慈悲というような言い方があるらしい。

慈・悲からできた慈悲がいったん我々の側のものにされてしまうと、それの本来の意味に帰るときには、無縁だとか法縁だとか衆生縁だとか、そういう説明の必要ができてくる。そういうことではないのだろうか。

では喜捨はどうなんだろうと考えると、やはり仏の四無量心の喜・捨からできているに違いない。喜・捨からできているに違いないけれども、衆生縁の慈悲、小慈悲と対を成すような言い方はない。

ないということは、本来の仏の方の喜・捨をあわせた喜捨しかないということではなくて、我々の側にしか喜捨がないから、区別する必要がないということではないのだろうか。

我々といっても、どういう方々を指して我々といっているのかはお察しあってしかるべきであって、少なくとも私はその「我々」には入れていただけない。

ちなみに、喜捨とはこんな意味であるらしい。