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正定 (10/1)

天親菩薩論註解 報土因果顕誓願
往還回向由他力 正定之因唯信心

教学研究所編の「正信偈」には「正定」ということを説明して、「仏となるべき身と定まること。衆生往生の因も果も、往相も還相もことごとく如来他力の回向であるから、その本願の旨を信ずるとき、みなことごとく成就されるゆえ、正定の真因はただ信心一つにきわまる。」とあります。

本願の旨を信ずるとき、みなことごとく成就されるという文章の「みなことごとく」とは何のことなんでしょう、私にはよく分かりません。成就されたからこそご本願というであり、いまだ成就されないときには誓願というのですから、「みなことごとく」はご本願ではないということになります。

同じく教学研究所編「正信偈」には「ただ信心」ということを説明して、「すでに私たちが浄土に往生する因果すべて本願によってなしとげられてある。ただ私たちに課せられた問題はそれを信ずるかどうかということしかない。」とあります。

「私」にあってご本願成就が信じられない(信ぜしめられない)うちは、誓願は誓願のままであって、いわばサナギであり、ご本願は誰かが確かに実在すると言う幻の蝶のようなものである。他力のご回向によってご本願成就が信ぜしめられるとき、すでにご本願は成就していたのであり、それは幻などではなく、ただ「私」が実在の蝶をサナギとしていただけのことである。どうもこういうようなことではなかろうかと思います。

さて、では、信じる、信ぜしめられるとは、どういうことなのでしょう。