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往還回向 (9/30)

天親菩薩論註解 報土因果顕誓願
往還回向由他力 正定之因唯信心

「天親菩薩の『浄土論』というものを引用するにしても、それを中国の曇鸞大師の、『浄土論』の注釈であるところの『往生論註』に移し、その曇鸞大師の『論註』をもって『浄土論』だとしておられる。ゆえに親鸞は「浄土論に曰く」と言いながら平然と、天親菩薩の『浄土論』の文(もん)を引用せず、その註釈たる曇鸞大師の『論註』を引用しておられる。」と、これは曾我先生の『親鸞の仏教史観 第5講』から。

インドの天親菩薩から中国の曇鸞大師へ確かに伝統されたものがあったわけで、経ている時間と空間を思うと不思議であり、また、やはり必然であったと思えてきます。以下は私の感じるところです。

往相回向・還相回向と言われると、それら二つが別のこととしてあるような受けとめ方をしてしまうような気がするのは私だけでしょうか。相は二つ、しかしながら体は一つであって、南無阿弥陀仏である。

もちろん「由他力」とおっしゃっているのですから、他力のおはたらき、本願力と言っておくべきなのだとは思いますが、その回向の具体は本願念仏であるわけで、相は二つ、体は南無阿弥陀仏ひとつである。

また、往相回向・還相回向と言われると、まず往相があって次に還相があるというようなことを予断しがちだと思うのは私だけでしょうか。南無阿弥陀仏に往相があり還相がある。往相があるのは還相があるからであり、還相があるのは往相があるからであり、往相があって還相がないということはなく、還相があって往相がないということはありません。

平成16年12月にこのような文章を書きましたが、その文脈で言えば、如来・菩薩が私となりきって下さることが、機の側からいえば往相であり、法の側からいうと還相であるということになるかと思います。